もりしーブログ

ポジティブについて考えるメディア

2019年01月

こんにちは。もりしーです。

ダラダラとマッチングアプリを続けていますが、今年こそ「彼女を作る」という結果を出したいと思います!


今回は、自分の目標にリミットを決めました。

4月末までに彼女を作る。です!


もうあっというまに1月が終わろうとしていますが、実は1月から始めたマッチングアプリ「dine」(https://dine.dating/ja)で既に何人かお会いしております。そんなわけでちょっとフライング気味ですが、今から3ヶ月後の4月末をリミットとします。今回改めて彼女を作ろうと決めた理由について書きたいと思います。


  • 色々な経験に時間を使いたい
  • 目的の無い出会いを辞めたい
  • 一人の人と向き合うことをやってみたい


色々な経験に時間を使いたい

僕は今まで色々なアプリに手を出して、マッチングした女性と片っ端から出会って、ご飯行ったり遊んだりを繰り返してきました。一方で、この一年でたくさんの「やりたいこと」が増えてきて、時間が足りなくなってきました。

・政治や経済のこと、31になってもまだまだ知らないことを学びたい

・とにかく沢山の本を読みたい。本の世界観に没頭できる時間を増やしたい

・今の業務であまり取り組んでいないプログラミングを一から学び直したい

・株、資産運用の勉強をしたい

・仕事以外でのコミュニティを見つけたい。会社以外での生き方について考えたい


1日に行動できる時間が限られている中でこれらを実現するには、無駄を無くす必要がありました。そうした時に、僕がやっていたマッチング活動は目的が不明瞭であり、無駄な時間として真っ先に切り捨てられるべきものでした。


目的の無い出会いを辞めたい

なぜマッチングアプリが必要なのか?

改めて考えた時、今まで気軽にやっていたアプリが凄く無駄なものに思えてきました。


婚活垢のように真剣に結婚を見据えられる相手を探しているか?

もしくはナンパクラスタのようにセックスできるパートナーをガツガツ狩りに行っているか?

またはアプリを通して、一人でも友達と言えるような関係を築くことができたか?


答えは全てノーでした。

なんとなく顔が可愛い人に「いいね」を送り、会ってなんとなくいい雰囲気になれば付き合ったり、彼女未満の関係になったりとだらしないものでした。

それは積極的に女性と出会っていても、中身は流れに身を任せている受け身の出会いであったと思います。

目標を持たずに出会いを続けることは永遠に時間を浪費し、偶然の出会いで世界が広がったように思い込む麻薬のようなものです。


一人の人と向き合うことをやってみたい

僕は一年以上彼女と言える人はおりませんでした。

その間、アプリで偶然に会話が弾んだ人と話したり、時に恋人未満の関係になることは、会社と家の往復だけだった僕にはある程度の刺激になりました。しかしながらそれ以上の仲になることはできず、何人と会ってもどこか満たされない気持ちがありました。沢山の人と出会っても自分の考えや思いを共有したり意見しあえるレベルの深い関係にはなれず、その事が満たされない感情を生んでいると思います。


深く理解しあえる関係、それは「親友」または「彼女」のような存在がそれに当たるのだと思います。しかしながら「親友」は作ろうと思って作れるものではなく、今自分に必要なのは「彼女」の存在だと改めて考えました。


そのような理由で、改めて僕ははっきりと「彼女を作る」と決めてマッチングアプリをやる事にしました!

また、期限を決めないといつものようにズルズルと続けてしまう可能性があったので、リミットとして4月末と決めました。これまでの経験から言っても、長くメッセージのやり取りをしても恋愛に発展する可能性は低いです。お互いに同じ温度感で、恋人を作りたい人に出会いたいです。


結果はどうなるかわかりませんが、今使っているアプリのことや、プロフィールを見直したことなど、体験談を次回以降も発信していきたいです。同じように出会いを求めている人、もしくはマッチングアプリに興味を持っている方に一人でも見ていただけると嬉しいです!

こんばんは。もりしーです。

今日は僕の家族について書きたいと思います。


1/6の夜、実家にいた家族の一員(愛犬ラン)が亡くなりました。


初めてランが我が家にやって来たのは、僕が高校生の頃でした。キツネのような顔の柴犬の女の子で、まだ小さかった事を覚えています。家族みんなランの事が大好きで、家族の中心でした。

僕はたまに散歩に連れていくくらいでしたが、学校で嫌なことがあった時も、親と言い争いをした時も、いつも足元にすり寄ってそばにいてくれたのを覚えています。

父は元々単身赴任で県外におり、我が家は3人兄弟でしたが大学に進学するにあたって3人がそれぞれに県外に出ていきました。

家族はバラバラになりましたが、ランは残された母親の側にずっと寄り添い、家族の集う場所を守り続けてくれました。僕も帰省のたびにランの顔を見て癒され、帰る場所がある事に安心しました。


母のLINEでランの体調が悪い事を知らされたのは、先月中旬でした。肝臓の調子が悪く、食事は全くノドを通らないと知らされました。

2019年元旦、僕は実家に帰省し、痩せ細ったランの姿を目にしました。目はこちらを見つめているけれど、両手足はもう動きません。

もうあと何日持つかわからない状況。その時が来たら、僕はどう受け止めたら良いだろう?

何か答えを探して、「死」について本を読んだりして過ごしました。



なぜ死ぬことは悪いことなのか

永遠に生きることができたら、それは幸せなのか

人生の良し悪しは何によって決まるのか


そんな答えのない問いかけを自分に繰り返しました。ランにとっていい人生だっただろうか。そうであったと願っているし、犬の年齢としては長く生きてくれたことで、そう僕自身言い聞かせるようにしていました。

そうしていつまでもそばにいることは叶わず、僕が東京に戻った次の日、母に見守られながらランは息をひきとりました。


僕はこれまで一緒に過ごした時間を思い返しました。

もちろん悲しい気持ちは抑えていても込み上げてきますが、悲しみだけでなく「感謝」の気持ちがたくさん浮かびました。ランが我が家にやって来てから、一生を終えるまでに関わったことで、いろんなことを教えてもらったように思います。


誰かの支えになる事で、人は成長できる

ペットと暮らすということ。毎日家族の誰かが散歩に連れて行ったりご飯を用意してあげたり、お世話してばかりのようだけど、そうして僕達兄弟は他者を労わることを覚えたし、人として成長することができました

また誰かの支えになれるようになりたい、それはパートナーでもペットでも何かのコミュニティでもいいし、誰かにギブアンドテイクで支え合える関係を作りたいと思っています。


死について深く考えることができた

僕の家族はこれまで大きな病気をしたことがなく、僕自身「死」に対するリテラシーが低かったように思います。しかし永遠は存在しない、どんなに親しい人達にも終わりはやってくるんだ、その事を実感しました。

またいつかやってくる誰かの「死」を受け入れる為に必要な経験だったし

死を意識する事で、今僕に与えられている「生」を大事にしようと思いました。


親の愛情の深さを実感した

ランは我が家に取って、4人目の末っ子の妹でした。そんな末っ子の弱っていく姿を目の前にして、母は心から悲しみ涙しました。

母の泣き崩れる姿を目にして、「こんな悲しい顔はこれからはして欲しくない」と直感的に思いました。

その為には、残された僕たち兄弟が健康で過ごすこと。それぞれが望む人生を送り幸せでいること。

それが、親が何より望んでいることだと考えました。


巷ではペットロスという言葉もあるようですが、僕は今、ただただ感謝の気持ちだけです。


実家に帰るといつも尻尾を振って迎えてくれて、

楽しい時も悲しい時も暇な時もただそばにいてくれて、

仕事でバラバラになっている家族を繋ぎ止めてくれて、


ありがとうね!ラン

ランに恥ずかしくないよう、しっかりと生きていこうと思いました。

明日もがんばるよ!

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