こんばんは。もりしーです。

今日は僕の家族について書きたいと思います。


1/6の夜、実家にいた家族の一員(愛犬ラン)が亡くなりました。


初めてランが我が家にやって来たのは、僕が高校生の頃でした。キツネのような顔の柴犬の女の子で、まだ小さかった事を覚えています。家族みんなランの事が大好きで、家族の中心でした。

僕はたまに散歩に連れていくくらいでしたが、学校で嫌なことがあった時も、親と言い争いをした時も、いつも足元にすり寄ってそばにいてくれたのを覚えています。

父は元々単身赴任で県外におり、我が家は3人兄弟でしたが大学に進学するにあたって3人がそれぞれに県外に出ていきました。

家族はバラバラになりましたが、ランは残された母親の側にずっと寄り添い、家族の集う場所を守り続けてくれました。僕も帰省のたびにランの顔を見て癒され、帰る場所がある事に安心しました。


母のLINEでランの体調が悪い事を知らされたのは、先月中旬でした。肝臓の調子が悪く、食事は全くノドを通らないと知らされました。

2019年元旦、僕は実家に帰省し、痩せ細ったランの姿を目にしました。目はこちらを見つめているけれど、両手足はもう動きません。

もうあと何日持つかわからない状況。その時が来たら、僕はどう受け止めたら良いだろう?

何か答えを探して、「死」について本を読んだりして過ごしました。



なぜ死ぬことは悪いことなのか

永遠に生きることができたら、それは幸せなのか

人生の良し悪しは何によって決まるのか


そんな答えのない問いかけを自分に繰り返しました。ランにとっていい人生だっただろうか。そうであったと願っているし、犬の年齢としては長く生きてくれたことで、そう僕自身言い聞かせるようにしていました。

そうしていつまでもそばにいることは叶わず、僕が東京に戻った次の日、母に見守られながらランは息をひきとりました。


僕はこれまで一緒に過ごした時間を思い返しました。

もちろん悲しい気持ちは抑えていても込み上げてきますが、悲しみだけでなく「感謝」の気持ちがたくさん浮かびました。ランが我が家にやって来てから、一生を終えるまでに関わったことで、いろんなことを教えてもらったように思います。


誰かの支えになる事で、人は成長できる

ペットと暮らすということ。毎日家族の誰かが散歩に連れて行ったりご飯を用意してあげたり、お世話してばかりのようだけど、そうして僕達兄弟は他者を労わることを覚えたし、人として成長することができました

また誰かの支えになれるようになりたい、それはパートナーでもペットでも何かのコミュニティでもいいし、誰かにギブアンドテイクで支え合える関係を作りたいと思っています。


死について深く考えることができた

僕の家族はこれまで大きな病気をしたことがなく、僕自身「死」に対するリテラシーが低かったように思います。しかし永遠は存在しない、どんなに親しい人達にも終わりはやってくるんだ、その事を実感しました。

またいつかやってくる誰かの「死」を受け入れる為に必要な経験だったし

死を意識する事で、今僕に与えられている「生」を大事にしようと思いました。


親の愛情の深さを実感した

ランは我が家に取って、4人目の末っ子の妹でした。そんな末っ子の弱っていく姿を目の前にして、母は心から悲しみ涙しました。

母の泣き崩れる姿を目にして、「こんな悲しい顔はこれからはして欲しくない」と直感的に思いました。

その為には、残された僕たち兄弟が健康で過ごすこと。それぞれが望む人生を送り幸せでいること。

それが、親が何より望んでいることだと考えました。


巷ではペットロスという言葉もあるようですが、僕は今、ただただ感謝の気持ちだけです。


実家に帰るといつも尻尾を振って迎えてくれて、

楽しい時も悲しい時も暇な時もただそばにいてくれて、

仕事でバラバラになっている家族を繋ぎ止めてくれて、


ありがとうね!ラン

ランに恥ずかしくないよう、しっかりと生きていこうと思いました。

明日もがんばるよ!